今ここで指を鳴らしてしまえば、全てが終わる。
自分にはその権利があるし、今ならそれが出来る。
ヒィッツは傍らで眠る男の首に向けて指を構え―――――溜息をついた。





※ ※ ※ ※ ※





感情が無い男だと思った。

同じ十傑集ではあったが、名前しか知らなかった。
初めてまともに顔を見たのはここに来て数ヵ月後だったと思う。
その場に他にも何人か居たかも知れないが、顔の記憶は無い。
「『素晴らしきヒィッツカラルド』?」
意外にも、声をかけてきたのは向こうからだ。
「知っていて貰えたとは光栄だな。」
「だいぶ派手な噂が流れていたからな、『最強の指』。」
そう言ったレッドの顔は歪んで見えた。

笑った、とは思わなかった。





私の道徳観念は薄いと思っていたが、レッドはそれよりも更に薄かった。
初めて合同任務に就いた時には正直どこの気狂いが居るのかと思った程だ。
舞い散る鮮血や粉々になった瓦礫は確かに心躍らせる芸術品だが、
レッドのやり方はそれを超越していた。
私から見ればそれは醜く汚らしかった。

「同じだろ。」
「いや違う。」

何度目かの任務の時に口論になった。
きっかけは些細な事だ。そして価値観の違いは厄介なものだ。
その時のレッドは確か右手を肩から返り血で真っ赤に染めて…
スーツの袖が変色した血で固まっているのを見た記憶がある。

「同じだろ。殺して壊して灰にして。」
「違うだろう。お前のやり方は余分なものが多すぎる。」

レッドはほんの少し口を尖らせ、持っていた刀を振って血を払うと、

「俺は余分だと思わねぇな。」

そして小さく一言、

「お前、面白いよ。」

レッドは笑った。
歪んだ表情は決して笑顔に見えなかっただろうが。





※ ※ ※ ※ ※





無理矢理に身体の関係を結ばれたのはそのすぐ後だったか。
どうにも記憶が曖昧で、思い出そうとすると頭痛がする。
認めたくない現実を思い出す事に身体が拒否を起こしているのかも知れない。
初めて会った時の印象はもう無く、
感情が無いと思っていたこの男は炎のように激しい気性を牙に変えて私に向ける。
その度に抵抗する私に、その度に服従を強いるこの男は、
理不尽な暴力と身勝手な理論で私を束縛しようと躍起だ。
私が望もうと拒もうと、最後には自分が絶対に正しいとでも言いたいかのように。
それは例えるなら嵐がやって来るようなものだ。
違うのはその嵐に終わりがない事だ―――――今のところは。
そして私はもう一度レッドの顔を見つめた。
今ここで指を鳴らしてしまえば、全てが終わる。
レッドの首と胴体は永遠の別れを告げる。
一度だ。
たった一度。

一度。

この指を、


今ここで、この指を、










「―――――鳴らさねぇのか?」
眠っているとばかり思っていたレッドがやにわに目を開けた。
「!」
「甘ェんだよ、お前。」
不意を突かれて、飛び起きたレッドに床に引き摺り下ろされた。
盛大に頭を打ったがそんな事は気にもならない。
レッドはまさに獲物を狩る獣と同じ勢いで私の上にまたがると、
何のためらいも無くその指を私の喉に当てた。
グイ、と気道を絞めつけられて、何とか逃れようとレッドの腕を掴む。
爪が刺さった感触はあったが、レッドの身体は動かなかった。
「お前はまだ本気が足りねェんだ。」
歪んだ笑顔は心の底から楽しそうで。
「俺を殺したいなら、その指を鳴らす前に喉を絞めればよかったんだ。」
こんな風に。
そう言ってまた指に力が篭る。私の指にも力が篭る。
爪の先に僅かに生暖かい温みを感じて、遠のきそうになる意識がかろうじて繋がれる。
「お前がその手を汚すまいと思っている内は、俺には勝てねェよ。
 今だって爪を汚すのがやっとだ。俺を振りほどく事も出来ねェだろ?」
息苦しさに開いた口を唇で塞がれる。
少しでも気道を確保しようと伸びた舌は絡め取られて、最後には噛みつかれた。
「グ……!」
声にならない自分の声は吐き出したくても許されず。
鉄錆の匂いが鼻腔を突き、逆流した唾液は血の味がした。
口の端を溢れて伝う緋色の液体を舐め取ると、レッドは薄く微笑み、
「俺は、お前を殺せるぜ。」
そう言って、不自然なほど柔らかく私の唇を舐めると、
「十傑集だとか、同士だとか、仲間だとか、そんなものは関係無ェからな。」



―――――そんなモノ、お前犯した時にとうに捨てちまったよ。



黒く塗り潰されていく意識の中、どこか遠くにその声は聞こえた………。












・・・・・・気がついたのはベッドの上だった。
一瞬出来事が夢だったのではないかとも思ったが、首の痛みは夢ではない。
よくよく見れば腕や胸に覚えの無い新しい鬱血がある。
意識がない内に付けられたのかと思うとぞっとした。

隣には何事も無かったかのようにレッドが眠っている。
また起きているのかもしれない、と少し緊張したが、
すぐにそれはあり得ないだろうと息をつく。

レッドは私が自分を殺せない事を知っている。

殺意が無いのかと問われれば、答えは”ノー”だ。
だが、自分の手でレッドを絞め殺せる「程度」の覚悟は出来ていない。
私には手放す事が出来ないものが多すぎる。
そしてそれは世間で言うところの「常識」ですら混ざっている。
全てを失くす覚悟で、レッドに手をかける事は今の私には無理なのだ。
―――――眠るレッドの顔に歪んだ狂気は見えない。
だが、この男はどこかでその一線を踏み越えてしまった。
それが自分と会う前からだったのかその後なのかは今では確かめようも無いが、
執着心と言えばまだ可愛げのあるその欲望は、
決して眠る事無くその内部に燃え盛っているに違いない。

ゴロ、とレッドの身体が寝返りをうつ。
その動作にすら緊張した自分が歯痒い。

毛布から見えた腕に、真新しい爪跡が見えた。
自分の爪の跡だと気づき、一度大きく息を吸って吐き出す。
そう、
お互いに相手を殺そうとしなければ、
お互いに相手に殺されまいとしなければ、
私達の捩れた関係を終える術は無い。
互いの姿しか見ず、
互いの声しか聞かず、
互いの気配しか感じない、
その「程度」の覚悟を持たなければ―――――。





『レッドは、その一線を越えた。』

   爪の先の血の跡に舌先を押し付ける。

『私は、その一線を越えられるか?』

   鈍痛と鉄錆の味が口内に染みる。

『全てを捨てる「程度」の覚悟を。』










―――――いつか、私はこの男に殺されるのだと思う。
        それは決して世迷い事でなく、予感という名の確信だった。










* * * * *

黒絵50題で書いた話を練り直しました。
レッドの執着は病気じゃないかと思うくらいでいいと思います。
で、ヒィッツは自分がいつか殺されるんじゃないかと感づいていた、とか。
常識レベルはヒィッツの方がまだマシだったんじゃないかと思うので。