今夜は満月だそうだがあいにくとこの辺りの空は雲に覆われていて月は見えない。
 もっとも、街は季節柄イルミネーションが煌びやかで、たとえ空が晴れていようとも月や星は見えないと思う。いや、誰も空など気にしないというのが正しい。目の前の光景が明るければ明るいほど、足元や頭上の注意はおろそかになるものだ。
「本当、急に寒くなったな」
 レッドが上着のポケットに手を突っ込んだまま呟く。今年は平年より気温が高い日が続いたと思ったら突然の寒波到来だそうで、数日前には一日で建物が埋もれた山村のニュースをやっていた。
「この時期にこの辺りでこれだけ寒いなんて。本当に今年は異常だぜ」
「むしろここ数年の暖冬がおかしかったんだと思うが……。だがここ数日の寒暖差には確かに調子が狂うな」
 そう言った私は喉の奥に違和感を感じ、内ポケットに忍ばせておいた薬用スプレーを口内に当てた。
「何だよ、風邪か?」
「違うとは思うが……少し喉がかさつくから用心に、な」
「弱ッ!」
 そう言ったレッドは私の手からスプレーを取り上げ、蓋を開けて臭いを嗅ぐ。
「あ、おい!」
「変な臭いだな。効くのか?」
「効き目半分、気休め半分、って所だ。少なくともいがらっぽさは軽減している」
 自分の口の中にミントと薬剤の混じった臭いが広がっている。最初は違和感しかなかったがもう慣れた。
「それよりも――――ここで間違いないのか?」
 私はごく自然を装って周囲を見渡した。イルミネーションの通りを抜け、ビルに囲まれた街の中央にはライトアップされたモニュメントが飾られている。普段は公園として使われているこの広場の装飾はあと一カ月はこのままだという。観光資源が少ないこの時期に少しでも客を呼び込みたいのだろう。
「間違いねぇ。何人か私服の警察官がいるがそっちは単にこの広場の警備だ。だが、それ以外にも武装したカタギじゃない連中が何人か紛れてやがる」
 レッドは人を探しているふりをして視線をいくつかの場所に流した。それとなく追えば、確かにその先には一般人に紛れた武装兵が立っている。SPにしては少々血の気が多そうだ。だが。
「まあ私達に見破られている時点で失格だな。もう少しマシな人間を連れてくればいいものを」
「トップが所詮その程度って事だろ。もっとも、この街には必要なんだろうが」
 そう言ったレッドはモニュメントの方を見た。一定の間隔で色が変わるライトアップは華やかで、周囲では記念写真を撮ったり動画を撮ったりしているグループやカップルで溢れている。だがそんな若者達の陰に紛れるように少々歳のいった男達が談笑していた。傍目には酒場帰りのビジネスマンといった所だが、その男達こそが私達の標的だった。
「――――あんな男でもこの国の経済を動かせるのか。世も末だ」
「人間見た目じゃねぇ、と言いたいが、まあ同感かな。一代でここまでのし上がったのは褒めてやるが、やり方が雑過ぎだ。今までの運が良かったんだろうが」
 着ている物はそこそこ高級だが、どうにも小悪党と言うか勢いだけの成り上がり感が抜けきれない男がそこにはいる。金と権力に目の眩んだ周囲にはそれが自分達とは違う何かに見えているのかもしれないが、私達から言わせればそれこそ子供だましの虚勢としか感じられない。厄介なのは当の本人が勘違いをしている所だ。
「まあその運もここまでだ。小銭稼ぎに事業を拡大するのは結構だが、欲をかいて自分の対処しきれない世界に足を突っ込んだのは間違いだったな」
 この国の経済はここ数年不安定だが、唯一右肩上がりになっているのが軍需産業だ。だがそれも実は国内の企業の努力ではなく、実際には裏でBF団の息のかかった企業や団体が操作しているからである。当然の事ながら国そのものの中枢には根回し済みで、世論はともかく、表向きは自国内で安定した産業として定着しつつある。そんな所にノコノコと首を突っ込んできたのが件の男の会社だ。
「しっかし経営手腕はともかく、人脈? 人徳? ってのは無かったのかね、あの男」
 レッドがそこで初めて哀れんだような…それでも口角が上がったまま引き攣っていたが…口調で男を見つめた。
 本当に信頼できる者達と確実な人間関係を築けていたのであれば、こんな事になる前に誰かしらが忠告していただろう。いや、もしかしたら忠告した奇特な…もとい、親切な賢人はいたかもしれないが、果たしてあの男がそれを聞きいれたかどうか。
「まあそれも運だろう?」
 そろそろ面倒になってきて一言で私が返すと、レッドは今度こそ声を上げて笑った。そこそこ大きな笑い声に私は眉を顰めたが、近くに酔ったカレッジの青年達が通りかかったおかげでレッドの姿は目立たなかった。
「運か! なるほどそうだな!」
 何がツボだったのかはわからないが、レッドは何故か私が口にした運という単語を妙に繰り返した。普段仮面の下に隠されている目が爪の先のように弧を描き、愉快でたまらないといった表情だ。
「レッド?」
 その様子にさすがに違和感を感じて思わず名前を呼んだがレッドは答えず、結局周囲の酔っぱらい達と同じように散々笑った。そしてくつくつと口の端を歪めたまま、
「なあヒィッツ、あのバカな男と他の連中、どちらが運が良いと思う?」
「はぁ?」
 何の話かと呆れた声が自分の口から漏れた。だがレッドはやはり口角を上げたその表情を崩さず、
「ターゲットを狙った『仕掛け』が計算通り動かなかったとしたら、あの男の運は本物だろう。逆を言えばそれに巻き込まれた周囲の奴等は運が悪かっただけだ。そうだろう?」
「おいレッド? お前まさか」
「シミュレーションは完璧だったが、本番がその通りに動くとは限らんよな?」
 そう言ったレッドは上着のポケットから右手を抜いた。その手には車のキーレスキーのようなリモコンがある。それは今回の作戦で使う『仕掛け』のスイッチなのだが。
「……例えば、ターゲットの近くで爆発するはずの『仕掛け』が、設置する場所を間違えていたとか、な」

 カチリ。
 何のためらいも無く溜めも無く、レッドがスイッチを押した。

 途端、地響きのような轟音と共に広場中央のモニュメントの土台が爆発した。同時にモニュメントが煌びやかな破片と火の粉を纏って崩れ倒れていく。先刻まで笑い声や歓声が上がっていた広場には叫声と悲鳴が上がり、一瞬にして華やかな夜の街は阿鼻叫喚と化した。
「――――お前……」
 さすがに私が言葉を失ってその横顔を見れば、レッドはハハッと乾いた笑い声を上げ、
「見ろよヒィッツ。どうやらあの男も運が無かったみたいだぜ?」
言いながら一点を指さす。
 その所作につられて顔を向ければ、モニュメントが倒れて惨状が広がっている中心にくだんのSPもどき達が集まっているのが見えた。どうやら火の手が上がった一番酷い場所にターゲットの男が巻き込まれたらしい。何とかして救助しようとしているようだが、彼等の予想以上に火の周りは早く、そして強いせいで近づくのもやっとのようだ。――――まあ本来の『仕掛け』があった場所に直撃したのだから当然ではあるが。
「……いつから仕込んでた?」
「作戦の『仕掛け』を設置しに行った時」
 恐らくは万が一の為とか何とか言いくるめて二重に設置していたのだろう。下級エージェント達にとっては単なる保険だったろうが、レッドの方は最初からこちらが本命だった訳だ。
「全く……お前という奴は……」
 そう呟いて、私は額に右手を当てる。だが上手く隠したつもりの表情は…レッドと同じように口の端が上がったまま戻らない顔は…レッドから丸見えだったらしい。
「こんなくだらん任務、少しは楽しませてもらわねぇとやってられるか」
「全くだな」
 広場の混乱はいよいよ激しさを増し、パトカーや救急車のサイレンがひっきりなしに響くようになってきた。おかげで私とレッドが腹を抱えて笑っていても見とがめるような奴はいない。まあこの後本部へ戻ってからは策士殿や樊瑞に渋い顔と厳重注意くらいは受けると思うが、今はそんな事はどうでもいい。



   一瞬の間に目配せし、お互い何も考えず無意識にキスをする。
   混沌は未だ炎の形で踊り続けていたが、私達にはもう関係なかった。













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レッドもヒィッツも働き過ぎだったようです。