国道沿いに建つ建物は元々白い壁だったのだろうが、長年潮風に晒されているせいか痛みが目立つ。
もうそろそろ外壁の手入れでもする時期ではないかとヒィッツは思ったが、
ヨーロッパと気候の違う日本の環境を並列して考えるのはどうかとすぐに思い至った。
「なんだ? やっぱり違う店が良かったのかよ?」
テーブルを挟んで向かい側に座るレッドは僅かに不機嫌そうな顔をしたが、
気分を害している原因は単なる空腹なのをヒィッツは知っている。
「いや違う。暑いだけだ」
「あー」
照りつける夏の太陽に話題を擦り付けて誤魔化せば、レッドは一言で納得した風だった。
二人が座っている場所は海の見える絶好のロケーションなのだが、
その代わりに今の時間はちょうど陽が差してきていて店の冷房が効いていても肌は暑い。
「手前の席の方が良かったかな」
「我慢できないほどではない。景色を考えればたまにはいいだろう」
ヒィッツはそう答え、窓の外を見やる。レッドもつられるように外を見る。
店は建物の二階にあり、国道の向こうは堤防だ。その先には波光煌めく海が広がっている。
「……相変わらず濃い海だな」
海と言ってもここは南国のリゾート地ではない。
透明度の高いマリンブルーとは程遠い、どちらかと言えば紺色に近い海だ。
「私は結構好きだがな」
濃紺の海に白い波が立ち、同時に太陽の光が乱反射の様に瞬く。
堤防の下には砂浜があるはずだが二人の席からは角度のせいか見えず、すぐにでも波間に飛び込めそうだ。
車が一台目の前の国道を通って行った事で、二人は我に返った。
「あー……やっぱり日本は気が抜けちまう」
レッドは勢い良く頭を振るとテーブルに置いたままだったグラスの水を勢いよく飲み干した。

二人が今日本にいるのは任務の関係で日本支部に立ち寄ったからだが、
先行していた作戦にトラブルが発生し、そちらの片がつくまで待機命令が出たのだ。
当然本来なら支部内にて待機するのが常識だが、レッドがおとなしくしている筈もなく。
『戻る気になればすぐ戻れる距離だろ』
この一言で支部の下級エージェント達は二人が出て行くのを見送る羽目になったのだった。

「まあ、彼等が私達に意見できるはずは無いが……」
「なんか言ったか?」
無意識に呟いた声は思ったより大きかったらしい。
グラスを置いた時にテーブルに飛んだ飛沫を指でなぞっていたレッドが顔を上げた。
「何でもない。まだ命令が下らないのかと思っていただけだ」
言いながらヒィッツは時計を見る。
一見ただの腕時計だが、BF団の技術チームが開発した特殊なGPSと通信機能を備えたデバイスだ。
何かあれば本部から直接こちらに連絡が入るようになっている。
レッドも自分の方のデバイスを一瞥したが、
「先の作戦がどう動くかにもよるからな。俺の直感では明日以降」
「お前の勘なら間違いないかもな」
そう答えたヒィッツは先に来ていたアイスコーヒーのグラスに口をつけた。
本当なら紅茶でも飲みたい所だが、片田舎のレストランでは期待できそうもなかったのだ。
アイスコーヒーは思ったより飲みやすかったが、暑さの相乗効果だろうなとヒィッツは考える。
遠くで波が光り、ほぼ同時に国道を通る車のフロントガラスが光った。
「お待たせしましたー」
声と同時に、どこかあか抜けない雰囲気の女性が料理を運んできた。
二人の目の前に並べられた皿にはそれぞれ頼んだランチがワンプレートで盛り付けられていて、
予想よりはずっと見た目も量も豪華だった。
「おっ」
妙なレッドの声にヒィッツがチラリと顔を見やると、どうやら料理を見て無意識に出た反応らしい。
こんな“隙”も自分の国に来ている緩みなのだろうか――――ヒィッツは内心ニヤリとした。
「なんだかんだでやっぱり海辺の店なんだな。思ったより具が多いぜ」
そう言ってレッドは自分の皿のピラフの上から長いカニ足をつまんでヒィッツに見せた。
「多いというか、想像以上だな。まさかカニピラフで足が乗って来るとは」
「中にもバッチリ具が入ってた。結構美味い」
そう言うとレッドはつまみ上げたカニ足に大口を開けて下からかぶりつく。
その様子からもカニの新鮮さはよくわかった。
ヒィッツはヒィッツで、目の前の皿に載せられてきたメインのエビフライにナイフとフォークを立てる。
有頭エビのエビフライは薄い衣の下にしっかりとした身の弾力が感じられ、
ここ最近食べたエビ料理の中でも一、二を争うほどの美味さだ。
「美味いな」
素直に感想を口にすると、レッドはスプーンを止め、
「半分寄こせ」
言うが早いか、持ち変えたフォークでもう一尾のエビフライをかすめ取る。
「あっ!? レッド! 貴様っ!」
「その代わりこっちやるし」
既にエビの頭を取り除いていたレッドは空いていた手で自分のカニ足を一本ヒィッツの皿に置いた。
ヒィッツはもう少し文句を言いたかったが、珍しくレッドが等価交換してきたので言葉を飲み込んだ。
同時に奥の厨房近くで店の店員がこちらを見て小さく笑っている気配を感じ、我に返って咳払いする。
頬が熱いのは日差しのせいではない。

――――生まれ故郷どころか祖国でもないのに、つい気が緩んでしまうのが不思議だ。

海岸線の向こうで何かが光った。沖を行く運搬船だろうか。
相変わらず国道を通る車は少ない。
「食い終わったらもう少し北に行ってみるか」
ピラフの最後の一すくいを食べ終わったレッドがスプーンを置きながら言う。
「北? さすがにこれ以上支部から離れるのは……」
そう言いかけてヒィッツは言葉を止めた。
先刻の会話で、レッドの中ではもう作戦は明日なのだ。今日は“何もない”。
そしてヒィッツも心のどこかで“そうなのだろう”と確信している。
ヒィッツは氷が溶けて薄くなってしまったアイスコーヒーを飲み干し、紙ナプキンで口を拭うと、
「夕方になったら折り返すぞ」
「わかってるって」
そして二人は見合わせてどちらともなくニヤリと微笑むと、ほぼ同時に席を立つ。



   窓の外の日差しは未だ勢いは衰えず、海は白波を瞬かせていた。














* * * * *

今年の夏は暑かったですね。
昔よく行った海を思い出して書きました。