| 【おかえりとただいま】 ちょうど作成していた書類を保存したところでパソコンのアラートが鳴った。 ヒィッツはご丁寧に自分の腕時計でも時間を確認し、小さく息をつくと席を立つ。書類は急ぎの決済ではないし、次の任務も入っていない今は時間外に執務室にいる理由もない。早々にパソコンの電源を切り、内線で自分付きのエージェントに退室を伝えると居住棟へと戻った。 自室に帰るとまずヒィッツはさっさとスーツの上着だけをクローゼットにかけ、そのままキッチンへと向かった。冷蔵庫の中身を確認し、先日作ったローストビーフを取り出すと急いで切り分けていく。いつもなら多少厚めに切るのが拘りだが、今日はあえて薄く、その代わり食感が柔らかく感じられるようそぎ落とすような切り方だ。 そうして山になったローストビーフを小さなボウルに移すと、ヒィッツは何故かそれにラップをかけてまた冷蔵庫にしまった。そしてキッチンの隅に置いてある炊飯器の中を確認する。こちらも先日炊いた、しかしまだ一口も食べた様子がないご飯が保温されたままになっている。ヒィッツは小さく頷くとすぐに蓋を閉め、今度は棚から片手鍋を取り出すとスープを作り始めた。 普段ならスープの下拵えにも凝るヒィッツだが、今日は冷凍してストックさせていたベースを使っての簡単なものだ。もちろんそのベース自体はきちんと手間をかけているので味は良いのだが、自分の時間に余裕のあるヒィッツが料理する時にストックを使うのは珍しい。 そんなこんなでスープが出来上がった頃合いに、部屋を訪ねてくる男があった。 「おいヒィッツ、何か食わせろ」 勝手知ったるなんとやらで部屋に上がり込んできたレッドは真っすぐキッチンに向かってやって来た。その様子をいかにも嫌そうにヒィッツは一瞥すると、 「勝手に人の部屋に入って来て第一声がそれか。もう少し常識を考えろ」 「うるせぇバカ。いいから何か食わせろ。俺は腹が減ってるんだ」 そう言ったレッドはキッチンに備え付けてある簡易テーブルの前にどっかと座り込んだ。瞬間、ヒィッツも嗅ぎ慣れた硝煙と埃の混じった戦場の臭いが漂う。珍しく帰還途中に服だけは着替えたらしいが、根本的な臭いが消えていない辺り、久々に厄介な任務だったのだろう。 「……お前の分まで食事など考えていなかったからな。作り置きの簡単な物しか作れんぞ」 「構わん」 ヒィッツは大袈裟に溜息をついてみせると、冷蔵庫からさっきしまったボウルを取り出しレンジで軽く温め始めた。その間に底の深い一人用のサラダボウルに炊飯器のご飯をよそると、その上に軽く洗ったサニーレタスを敷いて温めたローストビーフを盛り付け、そしてこれまたストックしていたローストビーフ用のソースをかければ、ボリュームたっぷりなローストビーフ丼が出来上がる。そして出来たばかりのスープもカップに注ぎ、数か月前に買い揃えていた箸を揃えてレッドの前に並べた。 「……」 だがレッドは何故かそれに手をつけず、しばらくじっと食事を見つめたままだ。 「なんだ、食わんのか?」 「お前は?」 「もちろん食べる。何故お前だけ食わせて自分が我慢する必要があるんだ。そもそもこのスープだって自分の夕食に――――」 言いながら自分の分の準備を始めたヒィッツを尻目に、レッドはそこでやっとローストビーフ丼に箸をつけた。軽く温められたローストビーフは普段より薄く柔らかく切られており、レタスやご飯と一緒に頬張っても食べやすい。任務でまともな飯を食べていなかったレッドの胃と口にはかなりありがたかった。スープも同様だ。 「美味いぞ、この作り置き飯」 レッドがそう言うと、 「そうか、良かったな」 振り向きもせずヒィッツが返す。思わずレッドはククッと笑ってしまった。 「……急に何だ?」 自分の分を用意したヒィッツはレッドの向かいに座った。そんなヒィッツの顔を見たレッドは「いや別に」と呟いてもう一口スープを飲むと、 「お前の言う“簡単な作り置き”ってのは、随分と下準備が必要なんだな?」 そう言いながら箸でローストビーフを摘まんでみせる。 レッドのその言動でヒィッツは自分の本当の目論見がばれてしまった事を悟ったが、素知らぬふりで何の事だかと呟いてみせたのだった。 【唇に歯を立てる】 突然と噛みつかれ、レッドは目を丸くした。 何をどうしたという事も無い。普段通りだ。お互い任務明けで、酒を飲んで興が乗った。キスはおろかセックスだって初めてじゃない。むしろ慣れたものだ。 舌を差し入れる前だったのは幸いか、と唇を舐める。噛みつかれた下唇が痺れた。 「急に何だ? 今更」 見下ろしたヒィッツの顔はどこか緊張していた。 そうだ、今更だ。今だってわざわざ部屋から寝室に移動して事に及ぼうとしたところなのだから既に合意と言っていいだろう。それに少し前の関係なら噛みつくのはレッドの方だったろうし、ベッドの上まで手を出さずおとなしくしている事も無かった。 恋だ愛だと騒ぐ年齢ではないが、今はもう少なくとも相応の感情があっての関係だと思っている。それはヒィッツも同じだと思っていたのだが。 「そういうプレイでもしてみたいってか?」 あえてからかう様に言ってみる。勿論ヒィッツにそんな意思は無い事は百も承知だ。 「ち、違う!」 ヒィッツは叫んだ。自分の行動が考えている事と違った解釈をされたと思って慌てたのだろう。 「じゃあ何だよ?」 「……」 ヒィッツは一度視線を逸らすように周囲を一巡させ、すぐにチラリとレッドの様子を伺い見る。サイドランプの淡い灯りに映し出された陰影がどこか淫靡だ。レッドは思わず唾を飲んだ。 だがその様子をヒィッツは苛立ちや不機嫌と取ったのか、観念したようにレッドを見上げると、 「笑われても仕方がないが……怖くなった」 「はぁ?」 予想外の言葉に思わず間の抜けた返しが漏れる。だがヒィッツの表情は真剣で。 「初めの頃こそお前が無理矢理一方的に迫って来た事だが、ここまで来てしまっていれば私だって今更この関係を無かった事にするつもりは無い」 「……それで?」 どこか遠回しな言い方が歯痒い。詰め寄りたくなる自分を抑えてレッドは先を促す。 「むしろ受け入れてしまえば気持ちの切り替えも早かった。こういう物だと割り切ってしまえば、普段私が女性達を相手にするのと同じだ」 「まあ突っ込まれてるのはお前の方だけどな」 思わず茶々を入れると一瞬睨まれた。だがすぐにヒィッツは口を開くと、 「だが、最近この行為に違和感を感じるようになった。お前にどうこうされるのが嫌になった訳じゃない。けれど、今までの様に気持ちを割り切れないんだ」 ――――恋だ愛だと騒ぐ年齢ではないが、今はもう少なくとも相応の感情があっての関係だと思っている。それはヒィッツも同じだと思っていたのだが。 「〜〜〜〜お前なぁ……!」 レッドは頭を掻き毟りたい衝動をぐっと堪え、その代わりにきつく両目を瞑った。 これが本当に自他共に伊達男と称された男だろうか。まさかヒィッツの口からこんな初心な、そして熱烈な告白が聞かれるとは! レッドは勢いよく目を見開くと、ヒィッツの顔を舐める様に見下ろす。その様子にヒィッツは何事かと動揺しているようだったが、そんな戸惑う表情すら今は愛おしい。 思わずレッドは噛みつく様にヒィッツに口付けた。それがあまりにも性急だったので、ヒィッツは先刻の様に噛みつく事も出来ずに絡め取られた舌先まで貪られてしまう。 お互いの口の中が入れ替わってしまうのではないかと思うような長く激しいキスの後、やっとヒィッツの口を解放したレッドは薄く涙目になったヒィッツを見つめ、 「割り切る意味も理由も無ぇな。お前のそれがとんでもない杞憂だって事を今から解らせてやるよ」 そう囁き、どこか嬉しそうに唇の傷を舐めた。 【媚びるような視線】 レッドはわざとらしく自分の腕にすり寄ってくる女を一瞥し、内心うんざりしていた。 これはまだ任務だから耐えられるが、正直こういう誑し込みや芝居は好きではない。どこぞの会社に潜り込むとか裏社会の情報屋達と接触する程度なら得意分野だが、相手に色事含めてその気にさせるのは実際面倒で、できる事ならそんな過程をすっ飛ばして『実力行使』で解決してしまいたい位だ。 ターゲットの女はそんなレッドの心中も知らずに何やらずっと話しているが、その話の三分の一ほどもレッドは聞いてはいなかった。 まがりなりにも忍者であるので、諜報はどんな手段を使っても遂行できるだけの能力はある。今だとてこうして女がレッドに対して何の警戒心も持たず、むしろいかにレッドの興味を自分に向けさせようかと必死になっている辺り、任務はほぼ完璧に遂行されていると言えよう。 女はそこそこ見目も良く、肉感的なスタイルは魅力的だ。レッドも男であるからそういった性的な魅力はわかるし、女がそれを自身の武器として男を落とそうとする気持ちもわからないでもない。だが。 (違うな、根本的に) 冷めた思考でそう結論付け、自分が作れる一番上等の甘い笑顔を女に向けてみる。茶番を演じるのに限界が来たのだった。 ※ ※ ※ ※ ※ ギシギシとベッドが軋む音が部屋に響く。部屋の暖房は切ってあったが、絡み合う身体には薄く汗すら滲んでいる。 「アッ……! レ、レッド……ッ!」 任務を終えて本部へ戻ったレッドはその足でヒィッツの部屋に来ていた。 結果として、女を誑し込んで必要な情報を手に入れるという任務は八割方成功したが、残り二割に関しては計画外の手順で終わらせた。せっかく無駄な努力をしてくれた女には悪かったかもしれないが、薬と術の効果とはいえ悦楽に埋没できたのだからまだ幸せだったろう。命を取られるよりはましだったとも言える。 もっとも、今のレッドにはそんな事はもうどうでも良かった。女の顔などとうに忘れている。覚えているのはせいぜい口紅の色が濃かった事位だ。それよりも、今は。 「う…ッく……! おい、もう…いい加減に……!」 レッドの下で眉を顰めたヒィッツが唇を戦慄かせている。肌の熱さは確かに快感に翻弄されているというのに、見上げるその表情はどこかふてぶてしい。もう既に何度かいかされ、嬌声を上げ、レッドの腕や肩に爪を立ててなお、自分は失っていないという顔をする。けれど。 「もういい加減に……何だって?」 意地悪く聞き返して最奥を抉る様に突いてやれば、喉の奥を鳴らして動きを止める。そして次の瞬間、ヒィッツはレッドの目に視線を合わせ、ほんの僅かその脚をレッドの腰に摺り寄せるのだ。まるで気紛れに近づいてくる猫の様に。 (ああ――――これだ) 背筋に微弱な電流が走ったような感覚がレッドを襲う。同時に、ヒィッツに挿し入れたままの己自身がまた熱を帯びるのがわかる。 演技でもない、計算でもない。自分と同じ雄の性を持っていながら娼婦の様に狡猾に、それでいて無意識に自分を煽るこの視線と動き。これだけが普段色事に淡白なレッドを唯一燃え上がらせる。 「……茶番につき合わされて辟易してた所だ。今日はじっくり付き合えよ?」 「勝手な…ッあ……事、を……っ……!」 中をレッド自身で圧迫され腰を揺らされるヒィッツは何やら悪態を唱えていたようだが、見え隠れする愉悦の表情を今のレッドが見逃すはずもなく。むしろレッドは自身を咥え込むそこが先刻よりも熱く、きつく締め上げてきている事を感じていた。 (これが……こいつだけが、俺の全てを煽ってくる唯一の存在) そう感じた次の瞬間、レッドは自分を見上げるヒィッツのその白磁の眼に確かな情欲とその先を強請る哀願を見る。 その色は確かに白であったが、レッドの目にはあの女の唇よりも鮮やかに艶めいて見えた。 * * * * * ツイッターでお題アンケを取ったところ、 3つのお題が同率だったので全部書いてみました。 とりあえずうちのレッドさんはヒィッツの事好き過ぎw |