| チュル、と軽い水音がする。 同時に口の中に甘く、そして粘ついた液体が広がった。 「ン―――……。」 口の端から零れ落ちそうになった雫は寸前で塞き止められたが、 代わりに熱く蠢く舌先がヒィッツの口内を蹂躙する。 熱を帯びた唾液は更に甘くなったようだ。 「あ……。」 「甘ェ。」 ヒィッツが言おうとした一言を先回りし、レッドは僅かに唇を離して呟いた。 白く濁った唾液が細く糸を引いたがそれはすぐに切れ、 レッドはヒィッツの目を見つめたまま、左の親指で濡れたヒィッツの唇を辿る。 微かに唇の薄皮に触れた感触に、無意識にヒィッツがその指を舐めれば、 レッドは口角を上げてニィ、と笑うと、 「まだ足りねぇってか?それとも、」 言い様、レッドの右手がヒィッツのシャツに伸びる。 その指はまるでプレゼントのリボンを解くように呆気なくヒィッツのネクタイを外し、 流れるような手つきでワイシャツの上から身体のラインをなぞった。 ビクリとヒィッツの身体が揺れる。 「……それとも、もっと別の場所がいいのか?」 レッドの指はシャツの上をわざとらしく彷徨い、ヒィッツの敏感な部分を敢えて避けていく。 不本意ではあるが自分の弱い所を熟知しているであろうこの男が、 シャツの上からとはいえそこに気づかないはずが無い。 それに気づいたヒィッツは一瞬眉をひそめたが、 すぐに自分の唇の端に引っかかっているレッドの左親指に軽く歯を立てると、 「今更焦らすな。……そうでもしないと間が持たないのなら別だがな。」 そう言ってゆっくりと目を細めて見せた。 その言葉に、今度はレッドが気分を害したような顔をしたが、 まるでそれを宥める様にヒィッツは歯を立てたレッドの指をもう一度舐め、 そのまま顔を寄せて自らレッドに口付けると、 「ほんの冗談だろう?」 「お前の冗談は間が悪い。」 そう返したレッドの口角はとうに上がっている。 普段通りを装うヒィッツのその余裕ぶった態度が、実の所ギリギリのラインである事がわかっているからだ。 だが今夜はそんな態度を必要以上に茶化す真似をするつもりは無い。 レッドもお返しとばかりに、この男にしては珍しく触れるだけの口付けをする。 そんな調子でお互い啄ばむ様にキスを返し、し返し、その間隔が長く深くなってきた頃には、 二人の身体は三人がけのソファに沈んでいた。 ※ ※ ※ ※ ※ 「今回は手間をかけたね。これはほんのお礼だよ。」 クリスマスが近づいたある日の事。 型どおりの報告書を提出してきたレッドに、珍しくセルバンテスが声をかけた。 今回のレッドの任務は元々セルバンテスが手掛けていた作戦の一環である。 ただ、途中厄介なイレギュラーが起こり、 結果としてレッドは当初の予定以上の仕事をこなす結果となったのである。 レッドはセルバンテスの顔を一瞥し、差し出された包みを見て内心眉をひそめた。 「お礼?」 「研究所で開発中の新薬の副産物さ。」 そう言ったセルバンテスの笑顔に、レッドは“副産物”の正体を悟る。 「俺はこんな物いらないぞ。」 「まあまあそう言わずに。これは勿論お礼ではあるけれど、半分は実験でもあるんだよ。」 「実験?」 今度こそあからさまに不機嫌な顔を見せたレッドに、セルバンテスは悪びれもせず続けた。 「お察しの通りこれは媚薬の一種だけど、“副産物”なだけあって効能が未知数でね。 勿論動物実験は成功してるから人体に害は無いけれど、 実際に人間が服用した時にどういった効果がどの程度現れるのかわからないのさ。」 飄々と語るセルバンテスの言葉の意味を理解できないほどレッドもバカではない。 「相変わらず涼しい顔をして物騒な話をするもんだな、眩惑の。 俺がこれを受け取ったとして、使う相手はわかりきってるだろうに。」 セルバンテスがヒィッツを気に入っているのをレッドは知っている。 だがセルバンテスはそんなレッドの言葉にハハハ、と愉快そうに笑うと、 「だから君にあげるんだよ。」 ※ ※ ※ ※ ※ そして今日―――クリスマス・イブの夜。 「何でまた今年もお前と飲む事になったんだろうな……。」 小さく、だが確実にレッドに聞こえる声でヒィッツは呟き、 それでも律儀に自分の所蔵しているワインとシャンパン、そして二組のグラスを持ってきた。 「それは直前ギリギリまで任務ぶっこんできた孔明に文句を言うんだな。」 すでにソファに陣取っていたレッドは、先にテーブルに並べられたクラッカーをかじっている。 レッドもヒィッツも前日までお互いの任務であちこち飛び回っており、 やっと自由の身になったのは今朝方だ。 当然クリスマス休暇の予定などすぐに立てられるはずも無く…… ほぼ普段通りにレッドがヒィッツの部屋に転がり込み、形だけクリスマスを過ごすこととなった。 「近年稀に見ねぇ寂しい食卓だな。」 「文句があるなら部屋に帰れ。」 「やなこった。」 前述の通りお互い任務だった二人は特別買出しをしていた訳ではないし、 そもそも普通の食事すらまともに残っていた訳ではないので、 酒以外はおよそクリスマスディナーとは言えないお粗末な物である。 二人にとっては挨拶の様に軽い言い合いの後、ヒィッツがシャンパンをグラスに注いだ。 だが注ぎ終るのを見計らって、レッドは思いついたように口を開く。 「なあ、チキンとは言わねぇが何か肉くらい無いのか?」 「お前な……。」 ヒィッツはいよいよ呆れた様に眉をひそめたが、 「……期待するなよ?残ってたら拍手物だ。」 何かを思い出したらしく、一度落としかけた腰を上げてキッチンへと戻っていく。 そんなヒィッツの後姿を確認したレッドは、袖口から隠し持っていた薬包を取り出した。 先日セルバンテスから譲り受けた件の“副産物”だ。 レッドは一度その包みを見、奥のキッチンで見え隠れしているヒィッツの背中に視線を流すと、 素早く包みを開けて中の薬をヒィッツのグラスに落とした。 軽い粉末はシャンパンの泡にすぐに消えていく。 特に酒の色が変色する事も無く、当然匂いも無い。見た目はただのシャンパンだ。 (眩惑の計算どおりに動くのは気にいらねぇが……。) だがレッドがヒィッツに使うであろう事を見越して媚薬を寄越したのはセルバンテスであるし、 どの程度の効能があるのか純粋に興味があるのも事実だ。 ―――こんな日くらい、などというらしくない考えは見ない振りをした。 (第一、どういった効き目があるかわからねぇんだしな。) 何も起こらないようなら普段通りにするまでだろう。結果は同じ事だ。 そう結論づけてレッドは自分を納得させた。 その時、ヒィッツが何やら皿に乗せて戻ってくる。 「チキンは無かったが、鳥は鳥だ。」 オードブル用の鴨のローストが残っていたのだという。 その皿を真ん中に置き、ヒィッツはレッドの向かいに座った。 そして少し泡が減ったようにも見える自分のグラスを掲げると、 「まあ一応、メリークリスマス。」 まさに言葉の羅列のようにそう告げると、そのままシャンパンに口をつける。 レッドは黙ってその様子を見ていたが、 ヒィッツが全部グラスを空けてしまったのを確認すると、自分もそのまま一気にグラスをあおった。 しばらく二人は普段の酒の席のように雑談を交わしていたが、 その間にもレッドはヒィッツの様子に変化がないかを観察し続けた。 あれからお互いに二杯ほどシャンパンを飲み、ヒィッツはワインに切り替えたところだ。 だが特にこれと言って変わった様子はない。 やはり不確実な代物だったかとレッドは残念に、そしてどこか安心し、 残りのシャンパンを飲んでしまおうと瓶に手をかけた。 だが。 「……私に何の変化もなくて残念だったか?」 一瞬の沈黙の後、不意にそんな事を言われてレッドの手が止まる。 視線を上げると、何故か緊張しているような強張ったヒィッツの顔があった。 「……何だって?」 「酒に入れたんだろう?眩惑殿にもらった媚薬を。」 そう言ってヒィッツは自分のシャツの胸ポケットから何やら取り出した。 レッドがセルバンテスから受け取った薬と同じ包みだ。 「眩惑はお前にも寄越してたのか。」 レッドは肩透かしを食らったような気分になり、ソファに背中を預けた。 セルバンテスが同じ薬をヒィッツに渡したという事は、まさか自分に使わせるつもりではないだろう。 もしかしたら実験云々はでまかせで、クリスマスの性質の悪い冗談だったのかもしれない。 確かに薬を飲んだはずのヒィッツが平然としているのもそのせいで―――そうレッドが考えていると、 「薬の事で、眩惑殿はお前に伝えてなかった事がある。」 そう言ったヒィッツは何故か立ち上がり、そのままレッドの横に座った。 何事かとレッドが黙ったまま話の続きを待っていると、 ヒィッツは一度深呼吸し、あえてレッドから視線をそらしたまま、 テーブルの自分のグラスを見つめながらもう一度胸ポケットを探る。 「この薬は……眩惑殿がお前に渡した薬は単体では効果は無い。」 言いながらヒィッツはもう一つ、錠剤の入った薬包を取り出してみせた。 「こちらの錠剤と併用して飲む事で、初めて効き目が現れるんだ。」 そう言ったヒィッツは錠剤の包みを開けると、ワインのグラスを手に取る。 レッドがまさかと思った次の瞬間、ヒィッツは勢い良くその錠剤をワインで流し込んだ。 「ヒィッツ?!」 目の前で毒でも飲まれた方がまだ驚かなかったかもしれない。 思わず驚嘆の声を上げたレッドを見たヒィッツはその口を自分の唇で封じ、 挑発するような……しかしどこか切ない目でレッドを見つめると、 「今日くらいはいいだろう?―――こんな事でもなければ私には無理だ。」 囁いて、小さく下唇の端を舐めて見せた。 その顔に酒のせいではない赤味が差してきたのを見止めると、 レッドはゴクリと喉を鳴らし、 「後悔するなよ?薬を飲んだのはお前だぜ?」 そう言い捨て、今度は自分からヒィッツに口付けた。 |
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