| 窓の外の雨は止む気配が無い。 木々の葉を打つ音に耳を傾けたヒィッツはふと壁の時計を見上げ、 そのまま手にしていた本を閉じて立ち上がった。 軽く首を回してコキリと鳴らすと、まっすぐキッチンへと向かう。 そのまま戸棚を開け、市販のパンケーキミックスを取り出した。 以前は小麦粉などをきちんとふるっていたのだが、 ここ最近は時間短縮と手間を省くために粉だけは専ら既製品だ。 それでも普通のスーパーで売っているような物ではなく、 今までヒィッツが使った事のある既製品でも一番信頼の置けるメーカーの品なのだが、 あまり市場に出回らないのでいつも取り寄せをしている。 ヒィッツはその袋をキッチンのカウンターに置くと、 今度は冷蔵庫から卵と牛乳とヨーグルトを取り出した。 卵があるので先ほどよりは丁寧な動きで同じくカウンターにそれらを置くと、 シンクの下の収納棚からボウルと軽量カップと大小二つのホイッパーを引き出す。 普段の……戦場でのヒィッツしか知らない人間が見たら目を疑う光景だが、 彼は自身の定義する良い男の条件の一つとして常日頃“料理ができる事”を提唱している。 そんな自論を持つヒィッツにとってはこの程度の調理道具は最低限の準備だった。 慣れた手つきで牛乳を量ると、ヒィッツは今度は野菜室からレモンを取り出した。 そして果物ナイフで綺麗な櫛形に切ると、 一切れを残して残りは小さなタッパーに移してまた冷蔵庫にしまう。 ヒィッツの手は全てを切り裂く“最強の指”であるが、それは任務に関わる時だけだ。 当然日常生活で自身の能力を使う事は無い。 残しておいたレモンの一切れをその指で神妙に抓み、新鮮な果汁をカップの牛乳に垂らすと、 そのままレンジで軽く加熱したそれを小さなホイッパーで攪拌し始めた。 ややあって、カップの中で手作りのカッテージチーズが出来上がると、 その出来に満足したらしいヒィッツは無意識に口元を緩め、今度はボウルに手を伸ばした。 綺麗に磨き上げられているボウルにカップの中身をあけ、 続けてヨーグルトと卵を落としてから大きいホイッパーで混ぜ合わせる。 それがすっかり混ぜ合わさってしまうと、 ヒィッツはそこにパンケーキミックスを一袋全部放り込んだ。 先刻までの繊細さとは裏腹に今度はざっくりと空気を含ませるように混ぜ込めば、 白い粉はだんだんとクリーム色を帯びてケーキのスポンジ色になる。 ホイッパーを持ち上げた時に生地が固まりで落ちる程度の硬さになったところで、 ヒィッツは一度ボウルを置き、もうこの後は使わない軽量カップ類を食器洗浄器に放り込んだ。 そのまま何とはなしに窓の外を見ると、雨の勢いは先刻より弱まっているように思える。 心なしか空も明るくなっているようだ。 その様子にヒィッツは時間の経過を感じ、少し急いだ風でフライパンを火にかけた。 温めたフライパンにバターを一欠け落とし入れると、フワリと香ばしい香りが漂う。 そのまま薄くバターを伸ばし広げたフライパンに先ほど準備したパンケーキ生地を ホイッパーで一掬い流しいれると、弱火で慎重に焼き始めた。 パンケーキは少な目の量の生地を焼く方が膨らむという事は最近覚えた事だ。 実を言えばヒィッツはそれほどパンケーキが好きな訳では無く、 作る知識はあったものの、自らすすんで作る事はあまり無かった。 それが何故最近はこれだけ手馴れてしまったかと言えば――― 広げた手のひらの位の大きさのパンケーキはいつもの様にプワン、と膨らむ。 表面に小さな気泡が出た所で、ヒィッツはフライ返しで手際よくひっくり返した。 あまり勢い良くひっくり返してはせっかく膨らんだ生地が萎んでしまう。 厚みも丁度良く、狐色と称するに相応しい理想の焼き色が付いた所で、 ヒィッツは一番手近の戸棚からシンプルなボーンチャイナの皿を取り出すと、 焼きあがったばかりのパンケーキをそこに移した。 その時。 「ヒィッツ!何か食わせろ!」 遠慮とか礼儀とか分別とか、そういった物とは無縁であろう声が響き、 キッチンの向こうのリビングの扉が開いた。 「人の部屋で大声を出すな!」 リビングを真っ直ぐ横切ってくるレッドに向かって声を荒げたヒィッツは、 そのまま二枚目のパンケーキに取りかかる。 そんなヒィッツの怒声などお構いなしにキッチンへ足を踏み入れたレッドは、 「お?パンケーキ焼いてんのか?」 「……お前、任務が終わってそのままこっちに来たんじゃないだろうな? まだ埃の臭いがするようだが?」 レッドの声には答えず、パンケーキに目を落としたままヒィッツは眉をひそめた。 だが普段ならそんなヒィッツの物言いに食ってかかるレッドは気にした風でなく、 「一度部屋に戻って着替えたっての。それより丁度いいからそれ食わせろ。」 向こうじゃずっと動きっぱなしで碌な物が食えなかったと愚痴ったレッドは 皿に乗った一枚目のパンケーキを素手で摘み上げようとした。 だが、寸での所でヒィッツは肘でレッドの動きを妨害すると、 「食わせてやるから大人しくリビングで待ってろ。 どうせその調子じゃ一枚二枚じゃ足りないのだろう?」 香ばしい二枚目のパンケーキを皿に重ね、ヒィッツは肩をすくめてレッドを見やった。 その様子にレッドは一瞬虚を突かれたように目を丸くしたが、 ボウルに準備されている生地の量に何事かを察し、すぐに嬉しそうに口角を上げると、 「早くしろよ?俺は腹が減ってるんだ。」 そう言ってリビングへと踵を返す。途中冷蔵庫から炭酸水を取り出していったのはご愛嬌だ。 ヒィッツはレッドの笑みに自分の行動を悟られたと感じ、頬を紅潮させた。 だがすぐに頭を振ると、残りの生地を焼いてしまうべくコンロの方へと向き直る。 それほど気にしていなかったパンケーキ。 材料に拘ってしまったのも、 手順に慣れてしまったのも、 以前より上手く焼けるのも。 そもそもこんな雨の休日に、 普段ならできない読書を中断して、 任務が終わってからやってくるであろう無作法な男の帰還時間を考えてしまったのも。 それもこれも、何もかも。 「ヒィッツー!まだかよ?!」 「うるさい!食べさせてもらう分際で威張るな!」 リビングからの声に大声で返すヒィッツは、それでも手をきっちり動かしている。 ふんわりと焼きあがったパンケーキを重ね、その上にもう一度バターを一欠けら。 ジュワリと溶けた上からメイプルシロップをかければ、 艶やかに輝くパンケーキは視覚にも嗅覚にも食欲をそそる。 決して売り物のように完璧な美しさは無いが、 おそらくは今、世界で一番美味しいであろうパンケーキ。 「私が作ったんだ。きちんと味わって食べるんだな」 そう言いながらヒィッツは右手に皿を、左手にナイフとフォークを掲げてリビングへと向かう。 『パンケーキってこんなに美味かったか? 悔しいがお前が作ったヤツが今までで一番美味いな。』 きっかけはほんの些細な一言。 それはある秋の雨の日の休日。 * * * * * 最近パンケーキ作るのが個人的ブームなので、 ヒィッツにも作ってもらいました(笑)。 (※パンケーキとホットケーキの定義は割と曖昧らしいので、 ここでは欧米圏で一般的に使う“パンケーキ”を使用しています) 参考にしているレシピは某イラストレーターさんの御本から。 |