咽返る様な花の香りは時に拷問だ。
レッドはその小さな姿からは想像もつかない芳香に眉をしかめた。



「なんて顔してるんだ。」
ヒィッツは半ば呆れ、半ば困った様な顔で資料を閉じた。
レッドの手元の資料は開かれた様子も無い。
だがそんな事は最初からわかっているかのようにヒィッツが咎める事も無い。
次の任務はお互いの役割が分かれていたので、打ち合わせといっても形だけだ。
「紅茶でも飲むか?」
ヒィッツは立ち上がると執務室の隅に設えてある棚に足を向けた。
私室と同様とまではいかないが、一休みする程度の茶器も茶菓子も準備している。
だがレッドは眉をしかめたままいらん、と言い放ち、
「こんな臭いの中で飲んだ所で美味い筈が無い。」
と、折癖一つ付いていない資料で自分の周囲を払った。



元凶は窓際に鎮座し、春の日差しを浴びている。



「失礼な奴だな。中国や欧州では珍重された茶の香りだぞ?」
「こんな臭いの茶なぞ俺は茶と認めねぇよ。」
白く小さな花はその可憐な姿に反比例して濃厚な匂いを部屋に漂わせている。
「そもそも何でこんな花なんて置いてやがる。」
レッドの覚えている限りでは、先週執務室を訪れた時にはこんな物は無かった。
律儀に自分の分とレッドの分の紅茶を淹れたヒィッツは、
その花と同じ白のカップをレッドの前に置くと、
「以前から幽鬼とお嬢ちゃんが育てていたらしいが、今年は順調に育ったそうでな。
 株分けにと鉢に植え替えたものをもらったんだ。」
余計な物を…とレッドは呟いた様だが、そ知らぬふりでヒィッツは紅茶に口をつけた。
元来五感が発達しているレッドは、ちょっとした匂いにも敏感だ。
外で落としてきた筈の女性の香水でさえ嗅ぎ分けるレッドが、
時に普通の人間ですら咽ぶ花の香りに気づかぬはずが無い。
今日だとて、ヒィッツの執務室に一歩足を踏み入れた時点で眉間に皺がよった事を確認している。
簡易ソファに座って一通りの打ち合わせが終わるまで何も言わなかったのはいっそ快挙だ。
しかし、だからこそレッドのフラストレーションは手に取るようにわかる。
なので次の瞬間レッドの手が鉢に向かって苦無を投げた所で、
ヒィッツには指を鳴らしてそれを真っ二つに切り落とす余裕があったのだった。
「邪魔すんな!」
「それはこちらの台詞だ。ここは私の執務室だぞ?」
普段の私室ならまだもう少し反撃も我侭も言うレッドだが、
本部内に位置する執務室ではあまり派手に動く事は出来ない。
今日は何から何までどこか一歩先を進まれている気がして、レッドはギリ、と歯軋りした。
「たまには余裕を持て、レッド。」
ヒィッツは薄く微笑み…いまだ口のつけられていないレッドのカップにブランデーを落とす。
花よりもはっきりとした香りがレッドの鼻をくすぐった。
「知った口を…何が余裕だ?」
「少なくとも、私は先日のお前の任務が珍しく失敗だった事をわかる程度には余裕がある。」
即座に立ち上がったレッドの拳がヒィッツの左頬を掠めたが、ヒィッツは微動だにしなかった。
ソファの背もたれの部分がミシリと音を立て、憤りを隠せないレッドの歯軋りと重なる。
「………今回の任務はその失敗の修正だったな。」
ヒィッツはカップをテーブルに置いた。
「お前…ッ!」
「邪推するな。少なくとも今は哂う気は無い。」



完全な失敗だったというのならむしろ救いはある。
完全に成功するはずだった作戦がほんの僅かだが失敗した、
それがどれだけこの男の自尊心を傷つけたのか。



「私も同じだ。」
「………。」
「お互い難儀な性格だな?」
過去にヒィッツのその自尊心を嘲笑ったのは他でもないレッドだ。
だがお互い年月を重ね、不本意でも付き合いが深くなれば、
その時気づかなかった隠れた素顔も理解できるようになる。
芳しい花の芳香に眉をひそめるこの粗野な男が、
実は鏡を映した様に自分とよく似ている、とヒィッツが気づいたのは決して最近ではない。



質は違えど、確かな2つの芳香が部屋を漂う。



レッドは冷めてしまった紅茶を一気に飲み干す。
その間にヒィッツは立ち上がると、暖かな陽の射す窓を開け放つ。
僅かに風が吹き抜けると、あれだけ苛立たせた花の香りも爽やかに感じられるから不思議だ。
レッドが手にしたカップをヒィッツに差し出し、2煎目を無言で催促すると、
片眉を上げたヒィッツは苦笑交じりにそのカップを受け取った。










* * * * *

”俺様”な性格故に、ちょっとした失敗に苛立ったり落ち込んだりするレッドもありかな、と。
もっとも、うちの2人の場合は話の通り『似た者同士』なので、ヒィッツも同じなんですが。

バカップルを通り越して熟年夫婦みたいだ(苦笑)