『クリストファー』はメンバーズバーといってもほとんどの客はゲスト扱いらしく、
また、その日が平日であったのも手伝って、
2人は特に何と言うでもなくラウンジ内に案内された。
ヒィッツが手馴れた様子でボーイにチップを握らせると、
ボーイは心得たように軽く頷いて、バーの中でも一番奥の…
個室になっているコーナーに2人を通した。



※ ※ ※ ※ ※



最上階のラウンジから見える夜景は雨の為に想像よりも遠かったが、
時折夜空を行き交う旅客機の灯りは近い。
また、その雨のおかげかホテルの脇を通る車道は静かで、
繁華街に近いホテルにありがちな酔っ払いの喧騒も無い。
夜の闇に薄銀の絹糸のような雨が落ちる音が微かに聞こえ、
市街地へ向かう幹線道路に沿って赤いテールランプが軌跡を描いていくのが見えた。



ラウンジの中央付近にあつらえてあったピアノのスペースで生演奏が始まる。
軽やかな、それでいてバーの雰囲気を損なわない演奏にヒィッツは軽く目を閉じる。
レッドはそんなヒィッツの様子に普段のような文句や悪態をつくでもなく、
むしろどこか妙な充足感とか安心感を感じながらその横顔を見つめた。



今この国に訪れているのは確かに任務ではあったが、
ここ数ヶ月の間、2人はそれぞれの仕事や作戦指揮で行き違う事が多く、
本部内に居ても会話を交わすことは無かった。
だが今回は久し振りの共同任務であり、
尚且つ待機と言う形ではあるが、こうしてしばしの余暇を楽しむ時間も出来た。
実の所ヒィッツは気づいていなかったが、レッドは今、実に機嫌が良く、
普段なら甘すぎて頼む事の無いゴールデン・キャデラックをオーダーすると、
その一口一口の甘さを楽しむように口に運んだ。
「………珍しいじゃないか。」
クレーム・ド・カカオの香りにヒィッツが気づいて声をかける。レッドは薄く笑うと、
「たまにはな。今夜はそんな気分だ。」
と、乳白色のリキュールを飲み干す。
同じタイミングで、ヒィッツが掲げていたグラスの氷がカラン、と音を立てた。
「お前こそ、今日はいつものジン・ベースじゃないのか?」
レッドはツイ、と指先を伸ばし、ヒィッツの手のアイスブレイカーのグラスを弾く。
「たまにはいいだろう。」
ヒィッツは答え、
「今夜は何故か普段と違う気分だった。」
そう言って、レッドと同じくグラスを傾ける。
ほんの少しだけ歪んでいた唇の端は、
おそらくカクテルがヒィッツの口には合わなかった事を示していたが、
それでもヒィッツはそれを残さず飲み干した。
レッドはそんな様子をヒィッツらしい、と声を立てずに笑った。



取り立てて特別な話をするでもなく、普段飲む事の少ないカクテルの数が重なる。
ピアノのナンバーはラストのようだ。
2人が気がつけば、入店した頃より人の気配が減っている。
あくまで個室の壁越しではあるが、こういった気配の増減にはお互いに敏感だ。



「閉店時間にはまだ間があった筈だが…。」
「元々ここはリゾートホテルみてぇに悠長な奴等ばかりが揃ってる訳じゃないだろ。
 ましてや、この国のカレンダーでいけば今日は平日だ。」
ああ、とヒィッツは納得して相槌を打つと、そんな単純な事を失念していた自分に驚く。
自分達の日常に”日付”はあっても”曜日”は存在していない。
それが当然だと思っていたし、不都合は無かった。
こんな小さな場所で、ヒィッツは改めて自分達の非日常を知る。
もっとも、何をおいて日常と非日常に線を引くかはそれぞれの筈であるが。

「………最後の一杯はおごってやるよ。」
レッドの口からそれこそ非日常的な台詞が飛び出した。
「どういう風の吹き回しだ?」
「まあ気分、だな。どうも今日は落ち着かねぇ。」
ローストナッツを口に放り込んで、頬杖をついたレッドの様子は普段と変わらない。
わざとガリン、と音を立てて噛み砕く様は、むしろいつも通り過ぎる。
ヒィッツはチェックインした時のレッドの高揚した様子を思い出したが、
『それ』が行き過ぎた時のレッドの状態はもう幾度と無く戦場で見ている。
―――――自分自身の中にも存在する、本能に近い部分。
レッドの中の理性は、もうすぐ迎えるであろう戦場での朝を見据えている。





「で、何を飲むんだ?」
レッドが軽く指先でテーブルを叩いた。爪の先が当ってカツ、と微かな音がする。
聞き逃すのが当然な位の音に、ヒィッツは瞬きをすると、
「そうだな………。」
「シメくらいはドライマティーニにでもするか?いつもの様に。」
レッドがそう言ってもう一度爪の先を鳴らした。
だが、ヒィッツは「いや、」と断ると、
「『ビトウィーン・ザ・シーツ』を。」
「は………。」
聞き覚えの無いカクテルの名前に一瞬レッドは目を見開いたが、
「―――――嫌味か?」
「どうとでも。」
そう言ってヒィッツは薄く微笑んだ。










* * * * *

※ゴールデン・キャデラック :クレーム・ド・カカオ(ホワイト)ベース。18度
※アイスブレイカー :テキーラベース。19度
※ドライマティーニ :ドライ・ジンベース。35度
※ビトウィーン・ザ・シーツ :ブランデーベース。32度



最後にヒィッツが頼んだカクテルはいわゆる”寝酒用”です。
(「ベッドに入って」という意味だそうで…。)
ちなみにゴールデン・キャデラックは本気で甘いので、
油断して飲みすぎるとつぶれます(…)。

連作、妙にダラリとしておりますがもう少しお付き合い下さい。