その夜は今年一番の冷え込みで、日本支部にも珍しく早めの初雪が降った。





本部と比べれば雲泥の差ではあるが、それでも支部の敷地は広い。
建物の裏手は広葉樹林と針葉樹林の入り乱れた森が広がっており、
油断すれば建物などすぐに見えなくなって敷地内でも迷いそうになる。



   雪は、妙にゆっくりとした速さで深々と降り積もっている。



月も星も無いのに雪の降る夜は何故か灰色がかって見える。
ヒィッツは一度息を吐き、その白さに寒さを感じた。
さくり、と雪を踏みしめる足元はいつもの革靴であったので指の先が冷えてきたようだが、
あまりに早すぎた初雪に防寒靴もブーツも準備は出来なかった。
辛うじて持ち込んでいたコートは普段使いより厚めのものであったのがまだ救いだ。



   雪は、音も無く降り続いている。



雪のおかげで暗闇にはならない夜の森の中、
その姿を見つけられたのは運が良かったのかも知れない。
レッドは相変わらず普段通りの黒のスーツであったが、
今日に限っていつものトレードマークであるマスクもマフラーも身につけてはいなかった。
ただじっと、白くなった森の中、仰向けに寝転がっている。
ヒィッツ以外の者がその姿を見つけたら、十中八九レッドが行き倒れたと思っただろう。
だが良く見ればその口元にかすかに呼吸の白が浮かんでは消えていたし、
何より、その目は真っ暗な森の上に向かって見開かれていた。



   雪は、空も地上も染めるが如くに降り続いている。



「………またお前は…。」
ヒィッツが溜息混じりにその顔を覗き込むと、レッドは右手を軽く上げて顔を退かせと合図した。
大人しくヒィッツはその顔を退け、代わりにそのままレッドの傍らに立って上を見上げた。
初雪にしては欠片の大きいその雪は、羽の如く柔らかく降りてくる割に肌には冷たく厳しい。
雪とはこんなに無情なものだったかなと、ヒィッツはまた一つ息を吐く。
あー、と妙に間延びした声が足元で聞こえた。
レッドの声にしては緊張感が足りないなと思ったが、仕方ないかとヒィッツは思い直した。
本来なら今ここに自分が居る事こそ間違いなのかも知れない。
マスクもマフラーも無く、冬の夜に身を投げ出しているレッドはおそらく『マスク・ザ・レッド』では無いのだろう。
そこまで考えて、ヒィッツは何故自分はレッドを追って来てしまったのかと思ったが、
目に飛び込んできた雪が一瞬で消えるのと同じ速さでその疑問は消え去ってしまった。



   雪は、全てに平等に降り続いている。



ヒィッツは来た道を辿って帰ろうと足を向けた。
だが、一歩を踏み出す前にレッドの手がその裾を掴む。
「何故止める?」
理不尽なレッドの行動に疑問が湧いた。
夜の向こう側に踏み込んでいた筈のこの男は、
その領域に足を突っ込んだまま自分を引き止めている。
そのくせ視線は未だ降り続く雪の先だけを見つめていて、ヒィッツの方を向くでもない。
足を上げてその手を踏みつけてやろうかと思った矢先、
また突然とレッドはあー、と声を上げ、
「俺はまだ向こうには行けねぇんだよ。」
その一言があまりに弱々しかったので、ヒィッツはついまたその顔を覗き込んでしまった。



   雪は、今、確実に降り続いている。



今度は退けろという合図は無かったが、代わりに手招きするようにまたレッドの手が上がった。
ヒィッツが片膝をついて屈み込むと、一瞬その指先が宙を泳ぐ。
赤ん坊が母親を求める時と似ているな、などとヒィッツが思っていると、
氷の様に冷えたその指先がヒィッツの頬に触れた。
肌の上で温まっていく様に感じるその指は、氷解の様に似ている。
「………まだだ。まだ、俺は。」
ヒィッツにと言うよりは自分自身に言い聞かせるように、レッドはそう呟いて口を閉じた。
氷の指があまりにも現実味が無さ過ぎて、
ヒィッツは辛うじてまだ冷え切っていない自分の手をその指に重ねると、
「お前は本当に欲張りだ。」
そう言って、手にした指先に口付けた。
氷の下には『マスク・ザ・レッド』が確かに存在しているのだと思う。
だが、それを覆い隠すように雪に身を投じたこの男は一体誰だというのか。
それでも、時折不意に姿を見せるこの男をヒィッツは知っている。
ヒィッツ自身の中に居る、”向こう側”の自分と同じ世界のこの男を。



   雪は、未だ止む気配は無い。



もう片方の手がヒィッツの後頭部に回って、抱え込むような格好で唇を重ねられた。
指よりも冷たい唇はそれでも僅かに柔らかく、
小さく舌先で舐めると、氷片を口にした時と同じ感触。
きっとここから溶け出して姿を見せるのは『マスク・ザ・レッド』であろうし、
同じ様にひびの入った薄氷の下から現れるのは『素晴らしきヒィッツカラルド』なのだろう。
そんな事を考えていると、薄く開いていたその穴からレッドの舌が侵入してきて、
絡め取られた舌と撫でられた口内からまさに氷解が始まろうとしていた。





   雪も氷も解け切った夜の先。
   それが見えるまで、この雪の中に閉じ込められた自分達は一体何者なのだろう。
   尚も降り続く雪の空がどこから続いているのか解らないように、
   その答えはおそらく見つかる事は無い。



   雪は、降り続いている。
   今も。










* * * * *

今年は冬が早いですね。
去年や今年の初めにも雪の情景は書きましたが、
やはりこういう凛とした雰囲気は大好きです。
夜や凍てつく様な空気、氷とか。表現しきれていませんが…(汗

レッドもヒィッツもBF団に属しているからこその”二つ名”であって、
本質はきっと別にある…という個人的希望。