眠りに落ちる、という人間として当然の行為の前にその瞼は閉ざされる。
自分が眠るより前にその目が閉じるのを見たのは数える程しかなく、
そしてその事実を、ヒィッツは悔しいと思う。





左肩への圧迫を感じ、ヒィッツは目を覚ました。
見上げた天井はサイドランプの薄明かりでぼんやりと浮かび上がっており、
余所余所しい光景にヒィッツはほんの数秒、自分の部屋であることを失念した。
肩への圧迫はレッドの腕だったようで、顔だけ向けると、そこには前髪の落ちた寝顔があった。
数時間前まで自分の目の前にあった顔は確かにその目を開いており、
相変わらず自分勝手に散々とヒィッツをいいようにしながら、
それでも東洋系特有の黒い瞳は自分の内部まで捉えようとする狩人の目で。
人の醜態や痴態を愉快そうに眺め細めるその瞳は本心から気を緩める事は無く、
それこそヒィッツの一挙一動を確認しているかのようだった。



最後に果てた時ですら、一度は閉じた目を薄く開き、自分を見ていた視線を感じていた。
急にその感覚が身体の奥に蘇って、ヒィッツは一人頬を紅潮させる。



”愛しむ”、というような甘い感情を期待している訳でなく、
仮にそんな感情を持たれているのだとすれば遠慮なく蹴り飛ばすだろう、と思う。
それはおよそ自分達には無縁の似合わない感情で、
逆に自分がそんな想いをレッドに向けたとしたら、日頃の理不尽な暴力以上の拳が飛んでくるだろう。
それでもレッドが自分を見つめるのは、
自分がレッドの眠る一瞬を見られずに歯痒く思う事に似ているのではないだろうか。
だとすれば、やはりレッドは貪欲な男だ。
数え切れないほど重ねた関係の中で、
レッドがヒィッツの顔を見られなかった事なぞ一度だって無いのだから。



ぼんやりとしてきた思考が霞む前に、ヒィッツはベッドを抜け出した。
まだ時間は深夜の域で、もう一度眠るには十分だ。
だがそこでまた眠るのが何故か惜しく思えて、
一度目を覚まそう、と、ユニットバスで軽く顔を洗った。
初夏とはいえ水は深夜になれば多少は冷えている。
心持ちさっぱりしたヒィッツは、もう一度足音を忍ばせて寝室へ戻った。



レッドは相変わらず眠っている。
少しの間だけだったせいか珍しくベッド全ては占領されておらず、
さっきと同じ、レッドの隣はぽっかり一人分のスペースが空いたままだ。
横にならずにその場所に腰掛けて、ヒィッツはもう一度レッドの顔を見た。
サイドランプの薄明かりは自分の身体でレッドの顔に影を作ったが、
夜の闇よりは薄いその影に、表情が完全に隠される事は無かった。
今はただ深く眠るレッドの姿は普通の青年だ。
時折微かに漏れる寝息だけが生きている証拠だった。



もしも、レッドが死んだなら。



ふと急に、そんな事をヒィッツは思った。
有り得ない、だが、無いとは言い切れない話だ。
自分達の生活はいつだって死神の鎌の上で、
ほんの僅かのバランスの崩れでその鎌口に生命の糸は断ち切られてしまう。
悔しいが、レッドは自分よりは立ち回りが上手い。
だが、それが”死”という運命にも通用するかは解らない。
そう思うと、レッドの寝顔に落ちる影が微かに色濃くなった気さえする。



瞼が閉じる時。
それは眠りという人間として当然の時間を過ごす時。
それは死ぬという人間として必然の時間が訪れる時。



自身の眼に最後に映る光景は果たしてどんなものだろう、と想像してみようとしたが、
それは考えてはいけない事のような気がした。
ヒィッツはレッドの顔を覗き込むと、一度だけゆっくりと瞬きする。
馬鹿な行動だと思う。
だが、その行為がひどく大事な事に思えた。
”目に焼き付ける”などという表現は陳腐だ。
だが、出来る事なら僅かな欠片だけでも残しておきたい。
その対象がこの男だという事は、あまり認めたくはないのだけれども。








「………なんだよ…?」
眠りの底から浮き上がってきたレッドは、目の前にあったヒィッツの顔に怪訝そうな顔をしたが、
すぐに一呼吸するように欠伸をした。
時折見せるヒィッツの不可解な行動はもう長い付き合いで慣れていたし、
自分だとて突然と衝動に駆られる意味不明な行動は起こす。
そしてヒィッツはほんの少し呆れながら―――――それでも否定はしない。
互いのヒトとしての一面を見せられるのも理解できるのも、近しい血のせいではないか…と、思う。
ヒィッツは結局…予想通りに…レッドの言葉に答えず、
ただ黙って、レッドの薄く開いた瞼とその中に光る黒曜石に舌を伸ばした。

生暖かい、柔らかい圧迫がレッドの左目を包む。

「…痛ェよ、バカ。」
そう呟いたレッドはヒィッツの髪を引き寄せると、逆に自分もヒィッツの右目に舌を押し当てる。
「…お前こそ。」
呟いたヒィッツの声はかすれていて、どこか嬉しそうだ。
「変な奴。」
レッドが覗き込んだ眼はやはり白くて、何故か染まらないその色を覚えておきたいと思う。
否、眼の色だけで無く、
その姿や顔や声、全てを五感に刻んでおきたい。
何故それがこの男だけなのか、未だに解りはしないのだが。








重ねる呼吸や、瞬きの回数。
ほんの僅かな交差が、彼等の今の証。












* * * * *

ヒィッツ視点だけで終わらせたかったのですが、どうしてもまとまりませんでした。
どこか、既成の枠で括れない関係というのもあると思う。