「耳がむず痒い。」
そう言ったレッドは右手の小指を突っ込んでいる。
コーヒーのおかわりを落として戻ってきたヒィッツは顔をしかめると、
「汚い。」
そう一言切り捨て、テーブルの少し離れた場所にカップを置いた。
「汚いも何も、痒かったら掻くぐらいするだろうが。」
「場所を考えろ。」
「あークソ、イラつくな。」
結局レッドが大人しくヒィッツの言う事を聞く筈もなく、指は耳に入ったままだ。
「ゴミでも詰まってるんじゃないのか?」
ヒィッツは棚に置いてある箱を何やら探りながら言った。
「そういう感じはしねぇけどなぁ。」
「お前なら耳から長靴が出てきてもおかしくない。」
冗談なのだろうがあまり笑えない発言をしつつ、ヒィッツは箱から取り出した綿棒を差し出した。
「指よりこっちの方が耳を傷めまい?」
「ん。サンキュ。」
ついでにウェットティッシュで(強制的に)指を拭かせると、
ヒィッツはやっと落ち着いてコーヒーのカップに口をつけた。
「………どうもスッキリしねぇなぁ…。」
レッドは指先でつまんだ綿棒を動かしていたが、眉間の皺は増えるばかり。
『どうしてこう日常的な事は不器用なんだ、こいつは…。』
ヒィッツは内心呆れていたが、もちろん口には出さない。
戦場では驚異的な気力・体力・行動力の持ち主のレッドだが、
普段の生活では割と不器用な事が多い。
いままでやらずに済んできた生活のせいなのだろうが、そのギャップは著しい。
「うー…やめた!」
そう叫んで、レッドは耳に入れていた綿棒をダストシュートに放り込むと、
何故かヒィッツの座っているソファの方へやってきて隣に座った。
「?」
一体なんだ、とヒィッツが目で訊ねると、レッドはそのままゴロン、とヒィッツの膝の上に頭を乗せてしまう。
「ちょ、何だ?レッド?」
「お前が見ろ。やっぱり綿棒など性に合わん。」
「何故私が!」
「お前の方が扱いに慣れてるだろうが。」
言いながらレッドの頭はもぞもぞとヒィッツを膝枕の上で落ち着く場所を決めると、
ほれ、と先刻渡された綿棒を渡し返す。
「〜〜〜〜〜お前、いい加減に…!」
「ちょっと見れば済むだろ。」
もうこれ以上の話は聞かない、とばかりにそのまま目を閉じてしまう。
こうなってしまえばレッドに何を言っても無駄であり、むしろ時間の方が無駄だ。
ヒィッツは今日だけだぞ、と溜息混じりに呟くと、レッドの耳を覗き込んだ。





見た限りでは確かに別段何かある訳でも無さそうで、
普段あまり見ることのない他人の耳を、ヒィッツは綿棒を動かしながらまじまじと観察してしまった。
「別に何もなさそうだがな…。」
「ふん?…でもさっきよりはむず痒い、とかはねぇな。」
閉じていた目を薄く開けて、レッドは呟くように答えていたが、
「あー、でも自分で突っ込んでるより気持ちいいかもなぁ…。」
横になっているのも手伝ってか、妙に眠そうな声が漏れる。
「そう言われても…複雑だな。」
手先が器用、という意味で取っていいのだろうか。どうも違う気もする。
今度はヒィッツの眉間に皺が増えていたが、お互いそんな事はわからない。
「………ほら、一応終わったぞ。」
綿棒を抜き取り、不意にフッ、と耳に息を吹きかけた。
予想外の事にレッドの身体が文字通り飛び上がる。
「うおッ?!な、何だよ?!」
「いや、細かいゴミを飛ばしただけだが…。」
ヒィッツにしてみれば特に驚くような事でもなかったのかも知れないが、
レッドからすれば普段なら絶対にあり得ない行動だ。
耳元にかかったヒィッツの息がまだ何となく残っているようで…さっきとは別の意味でむず痒い。
「…ついでだからもう一方もやれ。」
ほんの少しだけレッドの顔が赤かったのはヒィッツには見えなかったようで、
反対方向を―――ヒィッツの方を―――向いたレッドに対して、
本当に何故私が…と愚痴る声だけが聞こえてきた。
それでも指は律儀に綿棒を動かしている。
レッドは一度は目を閉じたが、すぐにまた薄く瞼を開け、自分の目の前のヒィッツの腹部を見つめた。
ヒィッツが何か動くたび、呼吸と共にシャツが動くのがわかる。
耳の不快感はすでに消えていたが、先刻湧き上がった別のむず痒さはまだレッドの中にあった。
ゴソ、と頭をよじり、その腹の方へと頭を寄せる。
「あ、こら!動くな!」
実は思っていたより耳掃除に熱中していたらしいヒィッツから抗議の声が上がる。
だがそんな事に構わず、レッドはギュウ、と鼻先をヒィッツの腹筋の辺りに押し付けた。
「何をして―――――。」
「うるさい。ちょっと黙れ。」
一方的に耳掃除を要求したと思えば、今度は黙れと言う。
ここまで我侭だといっそ清々しいが、その結果が膝枕だというのはヒィッツの心中推して知るべし、だ。
ヒィッツは結局耳掃除はもうどうでもいいのだろうな、と、
先刻指を拭かせたウエットティッシュに使用済みの綿棒をくるむと、
空いた両手をどうしたものかと少し考えていた。
レッドはレッドで中断された耳掃除に文句を言うでもなく、その手はヒィッツのシャツの裾を掴んでおり、
ヒィッツが身じろぐ度に圧迫される鼻先は全く気にせずにその膝枕の上で落ち着いてしまっている。



妙な光景だが、何故か静かな時間が流れていった。








「―――――……。」
レッドは目を開き、そこで初めて自分が眠ってしまっていた事に気づいた。
目の前の白いシャツは相変わらずそこにあり、呼吸と共に規則正しく動く様子も変わっていない。
よく大人しくしていたなコイツ、と、僅かに視線を上に流すと、
そこには普段ならあり得ない程に近いヒィッツの顔。
「!!」
また少し身体が飛び上がりそうになったが、何かが自身の髪と肩に乗っていて動けなかった。
そこでようやく、それがヒィッツの両手だという事を理解する。

まるで自分を覗き込むように覆い被さった姿勢のヒィッツは、座ったままで眠っているらしい。

「………ヘンな奴。」
自分が起きていた間はヒィッツが眠った様子は無かったのだから、
ヒィッツが寝てしまったのは自分が寝てしまってからの筈だ。
だったらとっとと退くなり起こすなりすればいいものを、
それすらせずに律儀に膝枕の姿勢を崩さずに眠っているヒィッツの両手は、
何となく自分の身体を抱きしめているようにも感じられる。
互いの体温が何倍にも感じられて、レッドは何故か気分が良かった。
手探りで自分の髪に触れているヒィッツの指を絡め、
今度は自分がヒィッツを起こさないように仰向けの姿勢に変える。
幸い、うたた寝と呼ぶには少々深い眠りに落ちているらしいヒィッツは目を覚ます事は無く、
いつも見ている時より穏やかな表情がそこにはあった。
「本当…ヘンな奴。」
自分と戦場で破壊に明け暮れる男とは到底思えない。
それは普段こうして自分がどれだけヒィッツの領域に踏み込もうと、
結局は今日のように容認してしまう程の”お人よし”な部分が多いからだ。
だが、それは決してヒィッツが寛大だからだとか、人間性の大らかさでは無い事も気づいている。
それでも。

「―――――まあいいさ。」
そうでなければ、自分を受け入れてしまうような『失態』はすまい………レッドは思う。





指を絡めた片手はそのままに、もう片方の手でヒィッツの顔を引き寄せる。
普段とは逆の下からのキスは少々やりづらかった。
「ン………?」
姿勢と息苦しさにやっと目を覚ましたヒィッツは瞬時には状況が飲み込めなかったらしいが、
気づいて顔を上げようとした時には既に遅く、
レッドの舌がやっとヒィッツの口から去った頃には、ばつが悪そうに顔を紅潮させるだけであった。
「オマエって本当、隙がありすぎ。」
そう言ってニヤリと笑うと、すぐ横にあるシャツのボタンに噛み付く。
思ったより簡単に穴から外れたボタンが脇に流れ、シャツの隙間から見え隠れする白い肌。
「あ、お、おいッ!」
慌てたヒィッツの声は、あらわになった腹部へのキスで塞き止めた。
そのまま身体を起こしながら下から上へとシャツを開き、
つい今しがたまでの体勢とは全く逆に、ヒィッツのその身体をソファと自分の間に閉じ込めてしまうと、
「―――――今度、もう少し広いソファに変えとけよ。」
台詞の意味に気づいて怒鳴ろうとしたヒィッツの口をもう一度唇で塞いでしまってから、
レッドはその指をヒィッツの胸元に滑り込ませたのだった。








* * * * *

どこの新婚さんだこいつらは。

………すみません、書いた張本人の台詞じゃありませんでした。
反省はしませんが。

”うちのヒィッツは(実力云々でなく)レッドに弱い”という事と、
”よくうたた寝する”というマイ設定を晒してみました。
損しませんが得もしません。