薬を飲んで再び寝室に戻ったヒィッツを見届けると、幽鬼は再びパソコンに向かった。
全神経を蟲に集中させておくには辛いものがあったが、今はカワラザキも控えている。
多少なりと気を抜いても良い状況だ。
ヒィッツとて休めるのは今後のスケジュールを何とか工面しても今日一日のみであるから、
幽鬼は今日の間に書類を片付けなければならない。
カワラザキは邪魔になっては、とダイニングキッチンの方へ移り、
しばらくの間、部屋には幽鬼のキーボードを叩く音が響いていた。





夜も近くなり、居住棟へも人が戻ってくる。
余談だが残月は昼過ぎに十常寺に発見され、樊瑞の指示で医務室へと運ばれた。
幽鬼の読みはまず当たっていたといえよう。
そして、一番の問題が居住棟へと向かって来ていた。

「―――――来たか。」

幽鬼は何とか終わらせた書類をハードとROMに保存し終えると、顔を上げた。
今日予想しえる問題で、一番厄介で面倒で手強い相手が残っていたのだ。
任務の為に本部を離れていたマスク・ザ・レッド。彼である。
願わくば作戦が延びて戻るのが明日になれば…などと思っていたが、
一度仕事モードに切り替わってしまえば、
流石は十傑集の中でもトップクラスの能力者、作戦の遅れも失敗もほとんど無い。
今日も今日とて帰還予定時刻はこちらの時間で夕方4時30分。
時計を見れば、時刻は40分になろうとしている。到着はきっちり予定通りで、
雑務をあらかた片付けてこの時間なのだろう。
そして…レッド付きのエージェントからヒィッツの話は必ず通っている筈。
部屋には戻らず直行ルートだろう。
幽鬼は放っていた蟲を総動員でレッドの来る方へと差し向けた。





「―――――フン、来たか…。」
レッドは既に蟲の気配は確認していた。
部下からの報告で、ヒィッツが風邪で倒れたことも、幽鬼が張っていることも聞いている。
だからといってそこで大人しく帰る様なレッドではなく、あえて真っ向勝負を挑みに来たのだ。

ここで確認したいのは、レッドの目的は”ヒィッツの見舞い”である。
しかしながら幽鬼にはレッドが大人しく見舞うなどとは思っていなかったし、
レッドも幽鬼という邪魔が入った時点で『見舞いモード』から『戦闘モード』である。
つまり、もう見舞い云々は関係がないようだ。

そんな2人の勝負は格納庫から旧棟側を通って居住棟へ向かう、一番人気が少なくなるルート。
幽鬼は周辺に関係のない者達が居ないことを確認すると、一気に勝負に出ることにした。

ズアァァァァァァッ!

残月の時とは比にならない数の蟲がレッドを取り巻く。
しかしレッドは軽く笑うと、

「同じ手が何度も通用すると思うなよ!」

そう叫び、奥歯で何かを噛み砕いた。
蟲からそこいら一帯が染まる程の鱗粉が舞ったが、レッドの動きに変化は無い。
どうやら噛み砕いた物の正体は、過去何度か経験した幽鬼の痺れ毒に対する中和剤だったようだ。

「ッ!一筋縄ではいかんか!」

幽鬼は顔を僅かに顰めると、ヒィッツの部屋を飛び出した。
蟲で抑えるのには限度があるが、自分が到着するまでには足止めができる。
幽鬼はその日、ダッシュの自己記録最高速度を打ち立てたが、勿論本編には全く関係はない。



※ ※ ※ ※ ※



「…爺さん。」
ヒィッツが再び顔を出した。
「おおすまん、起こしたか。」
「それは構わないんだ。だいぶ眠ったからな。それより幽鬼は…。」
どうやら起きた理由は先刻幽鬼が飛び出したドアの音だったらしい。
カワラザキはふむ、と多少困惑した顔をしていたが、
「まあ…もう少し様子を見てやってくれんか。アレはお前の事が心配なだけなんでな。」
その一途さはまるで兄を慕う弟のような思慕の念…の筈。
ヒィッツは少し照れ臭さもあったが、反面、やりすぎ感のある行動に沈黙するしかなかった…。



※ ※ ※ ※ ※



接近戦ではレッドに分があるというのは通常の考えで、
一対一の場合、実は幽鬼も得意とする分野であった。
もともとの能力の関係上どうしてもサポートに徹する事が多いが、身の軽さは動きに比例している。
事実、今もレッドといい勝負であった。

「相変わらずちょこまかと!」

ビッグゴールドを出せれば勿論勝負は瞬時につくが、さすがにそれはやりすぎ感が否めない。
…というより、以前からケンカで本部棟の倒壊の原因を作っているレッドには、
孔明から厳しいお達しが出ているのだ。
対して普段さほど問題らしい問題を起こしていない幽鬼は普段より大きく動いても差し支えは無い。
そのハンデを武器に、幽鬼は再び蟲を集めた。

ズアッ!

一気に召喚され舞い飛ぶ蝶。
先刻のような鱗粉が周辺の空気を染め上げる。

「同じ手は何度も喰らわねェと…!」

レッドが再び奥歯に仕込んだ中和剤を噛んだ。が、
幽鬼はその様子にニヤリと笑った。

「―――――!?」

レッドの動きが急に鈍った。
鱗粉の色が近かったので気づかなかったのだが、今、蝶が撒いたのは痺れ毒ではなく眠り薬。
毒に特化して中和剤を仕込んでいたレッドは、何も気にせず吸い込んでしまったのだ。

「油断したな。」
「くっそ…覚えてろよ虫野郎………!」

そこまで言うのが精一杯だったレッドは、あえなく地に伏したのであった―――――。



※ ※ ※ ※ ※



幽鬼がヒィッツの部屋に戻ると、ヒィッツが着替えている姿に出くわした。
「ヒィッツ!起き上がって大丈夫か?」
「ああ、もうすっかり良くなった。」
そう言って軽く微笑んで見せる。
その笑顔に朝のような無理は無い。幽鬼は胸をなでおろした。
「爺様は?」
「私が良くなったのを見届けて、部屋に戻ったよ。」
―――――実のところ、カワラザキは自分の仕事が無かった訳ではない。
ただ今日の幽鬼とヒィッツの様子を聞きつけ、このような事態になるであろう事を予測したのである。
どれだけ幽鬼ががんばっても、カワラザキにはまだ及ばないようだ。
「お前には借りができたな。」
そう言って、ヒィッツは軽く幽鬼の頭を小突いた。
幽鬼は少し顔を赤らめ、ぽそりと、
「こういう時位しか、俺がお前に何かしてやれる事はないからって言っただろ?」



   『お前が人嫌いだろうと何だろうと私は一向に困らないが、
    少なくとも、お前が死んだら悲しむ人間が一人はいる。』



以前言われたこの言葉を、幽鬼は忘れた事は無い。
その時には自分の世界に必要だったのは爺様だけであったけれど、今は―――――。
「…少なくともお前に何かあったら、俺が悲しい。」
「ん?何か言ったか?」
言葉は極々微かで、ヒィッツには聞こえなかったようだ。
幽鬼は微笑むと「なんでもない。」と軽く首を振った。
そんな様子にヒィッツは首を傾げたが、すぐに軽く伸びをすると、
「落ち着いたら小腹が空いたな…久々に食べに行くか。お礼におごるぞ?」
「そうだな、俺も何か食べたい気分だ。」
そうと決まればすぐ出よう、とヒィッツは自分と幽鬼の分でコートを二枚クローゼットから出し、
「後で爺さんにも何か買ってこなけりゃな。」
「そうだな。」
そのままコートを借り、幽鬼とヒィッツは部屋を後にする。



冴え冴えとした冬の空に、貼り付けたような三日月が姿を見せていた。








※ ※ ※ ※ ※



さて、幽鬼にしてやられたレッドであるが、
眠り薬ですっかり熟睡…というか、昏睡状態になること半日。
深夜の見回りで発見された時には体温低下で危険な状態であったそうだが、
翌日にはすっかり元通りとなり、自分の中の殺すリストに幽鬼の名前を付け加えたとかなんとか。
それでも風邪を引かなかったのは流石と言えよう。












* * * * *

某サイトさんの日記絵で幽鬼とヒィッツのツーショット(?)を見た途端、
自分の中の幽鬼像が一気に固まりました!
フェアリーさんな幽鬼も勿論オッケーですが、
きちんと『男』である幽鬼もいいよね!

ちなみにこの話は【黒絵50題】の話が前提になっています。
まだ読まれてない方で流血系でも大丈夫な方は一度読んで頂くともっとわかりがいいかもです。
【黒絵50題】47番「自傷」

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